パニック障害

今回はひでじぃがパニック障害を発症し、治療が始まるまでをお話しします。

とあるベッドタウンの郊外に引っ越したひでじぃ一家。
退職や父親との確執、家を離れたり戻ったりと引っ越しから数年経った頃には父親と一緒に自営業をしていました。この時、生まれて二十数年で父親と初めて仲良くできた時期じゃないでしょうか。
一応手先も器用でのみ込みが早く、真面目でできるやつという印象はあったと思います。
ずいぶん後になりますが、姉の夫に「あいつには頭が上がらない」というようなことを酔っぱらってですが言っていたそうです。直接は聞けませんでしたが。

自営業と言っても本当にただの個人事業主。二人でできる仕事の量は限られていますし、取引先は地元の方に2社ほど。うち1社は同じく個人でやっているところなので、そこの仕事を手伝うのは年に数回あるかないか。実質的には1社からの孫請けでやり繰りしていました。
なので仕事がある時は無理をしてでも受ける。なければ何日も休みという状態が毎年繰り返されていました。当時は景気も良くなかったので、収入0の月も珍しくありませんでした。

そんな生活が続いたある日、父親が長期入院することになりました。
治ることはない病気。止まったら死ぬような人が思い通りに動けなくなるとどうなるか。
衰えは早く、精神的にも弱くなり、仕事にも集中できなくなって、いつの間にかひでじぃがメインで仕事をするようになっていました。

皆さんは、理想の父親像ってありますか?
ひでじぃの父親は、偉そうで自分勝手で手を挙げることもありましたし、人として、父親としてはどうかと思いますが、仕事をする上では周りから頼られる良い職人だと思います。それがあったから一緒に仕事ができました。
なのに父親は、アルコールに逃げるようになりました。
ひでじぃも勝手だと思いますが、そういう父親が許せずにきつく当たることも増え、再び父親とはギクシャクするようになりました。

ある朝、ひでじぃは取引先に行く予定があったのですが、父親が「その前に薬局に連れて行って欲しい」と。ひでじぃにとっては「なんで今?」と、またイライラしながらも父親を乗せて薬局まで往復しました。

家に戻り、車を降りた父親の言葉。
「気を付けて行ってこい」
ひでじぃは返事をせず、車を出しました。

それが、ひでじぃと父親の最後のやり取りです。

父親の死と結婚目前までいった当時の彼女との別れ。
姉はもう家を出ていましたので母親と二人っきりでの生活が始まりました。

実はこの母親が、ひでじぃがパニック障害を発症する原因の大部分を占めていると思っています。

とにかく世間体が第一。お金大好き。自分は一切間違っていない。
そして傷口に塩を塗るような発言を無意識なのか知りませんが平気でするような人です。

ひでじぃは元々「ストレス」という言葉が大嫌いでした。
今では考えられませんが、「そんなものは医者が手を抜いて、何でもかんでもストレスのせいにしているだけ」とさえ思っていました。
そしてその考えが間違いだったと思い知らされる日は突然やってきました。

絶対納期は守る。できるだけ仕事をこなしたい。
そんな仕事上のプレッシャーと、一対一になって初めて感じるようになった母親からのストレス。
忙しい時は連日ほぼ徹夜ということも珍しくなくなり、心も体も知らない内に限界に達していたようです。

仕事が一段落したある日、突然後頭部に違和感を感じました。
脳みそをかき混ぜられるような何とも言えない気持ち悪さ。
それがこのあと何年も続く不調の始まりでした。

もしかしたら、すでに始まっていたのかもしれません。
このずっと前から、後頭部から背中にかけての強烈なハリや緊張性頭痛が慢性的に起こっていました。

その後は動悸、めまい、息が詰まるような感じがしたり、手足の冷え。突然頭から流れるぐらいの汗。湯船に浸かっても震えるほどの寒さを感じたり、普通に生活している今では忘れてしまっているものもあると思いますが、数えきれない不調に見舞われ近くの診療所を受診することにしました。

この診療所は農村地帯の医療体制を補うために、建物を建ててわざわざ医者を呼んできた施設だと聞きました。隣には同じ理由でできた歯医者がありましたが、とにかく経験も技術もなかったそうです。
診療所の方は父親が生前、薬を出してもらったり世話になっていた所で、父親も頼りにしていたようでした。

ひでじぃは、一番近くて父親が通っていたという実績もあってその診療所を選んだわけですが、パジャマの上に白衣を着た若い医者は、患者が言っていることを理解しようともせず、とにかく紹介状を書きたがる、全くあてにならない医者でした。

そんな医者の下で働く看護師も同じ感覚を持っているらしく、受診が3回目ぐらいになると明らかに「また来た」という負の空気を感じました。
この医者にどんなに説明しても「はい、はい」とあしらわれ、出された薬はビタミン剤のみ。
この診療所では「栄養失調」と診断されました。

紹介されたのは、最初は脳神経外科。次に個人の整形外科。さらに設備が整っているからという理由で総合病院の整形外科。
総合病院の整形外科では紹介状を見るなり「神経内科へ行ってください」と言われました。
しかも、ひでじぃの症状で整形外科を紹介したことが腑に落ちない感じでした。当然です。
そして症状を理解してくれる医者がいたことに少し安心しました。

体に異変が起きてから数か月。
常に頭に輪っかがはまったような感覚や、突然何かに迫られるような恐怖心に襲われたり、すでに外出も困難になって来ていました。
神経内科で聞かされた病名。

「自律神経失調症」

パニック障害なんて今ほど一般的ではない時代。
ようやく治療がスタートしました。

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